あかねぶろぐ。

永遠なんてないよ。

無題11。

・・・寝られない。

少し、興奮しているのかも知れない。

さっき、兄が来た。

海に連れていってくれると、言ってくれた。

海。そう、海。

見たことのないもののうち、もっとも大きなもの。

行ったことのない場所のうち、もっとも広い場所。

どうしよう、寝られない。

まだ、こんなに興奮することができるのだ。

こんなに明日が待ち遠しいと思えるのだ。

これはつまり、生きることが楽しいことの証というわけで。

わたしは、人生の最後の時間を、好きなように生きている。

・・・現在、深夜一時。

やっぱり寝付けない。

徹夜なんかして明日のために体調を崩したくないのに。

けど、今夜は妙に頭がすっきりしている。

もう少し、哲学してみよう。

死について。

どうして人は死ぬんだろう、死を恐れるのだろう。

このことを、わたしはずっと考え続けてきた。

正直、まだちょっと怖い。

死ぬこと。これはとても怖いことだ。

けど、人はいつか死ぬわけで、死ぬということは避けられない定めで。

アポトーシスで、進化の結末で、遺伝子の意思で、細胞の死滅で、生きとし生けるものすべてのルールで・・・。

けど、それは、どうしてだろう?

少し、考えてみます。

仮定1・・・死への恐怖は、ただの遺伝子の本能的なものである。

仮定2・・・死への恐怖は、繁殖を保護するためである。

・・・そうだろうか?

死は遺伝子によって決められて、それを恐れる心もまた遺伝子によって設計された。

ここに矛盾がないだろうか?

じゃあ・・・恐れって、何のために?

この前、興味深い意見を見つけた。

科学雑誌のコラムで、進化と遺伝子について扱っていた。

一つの個体が永遠に生きると、生物としての多様性が失われるという。

例えば、人間が冷凍睡眠して五百年後に蘇生したとする。

・・・似たような小説がある。あの素的な猫が出てくる外国のSF小説だ。

けど、あの小説みたいなことは起こり得ないという。

なぜなら、五百年後の世界は、今いる世界の延長線上に見えても、大気や細菌などの面で、今の世界とは全く異なる組成を持った未来だから。

そんな世界に、現代人間は適応できないのだそうだ。

五百年間の世代交代で培った抗体を、現代の人間は持っていないから。

だから、きっとその人間に訪れるのは、輝かしい未来社会での生活ではなく・・・死。

こんな倫理観を持ち出すまでもなく、人はその時代を生きることが正しい。

死。

わたしはどういう風に死ぬんだろう。

わたしが死んでいく様子を、誰が見るんだろう。

そして、わたしは唐突に気付いた。

明日、海を見る。

ずっと見たいと思っていた。

それを、明日見る。

わたしはそのことに、とても満足できるだろうという確信がある。

そう・・・つまりそういうことだ。

人が死を恐れるのは、やり残したことがあるからなんだって。

だから、自分のなすべきことを終えた人は、安心して命をまっとうできる。

その時、人は死を克服する力を手に入れる。

聖書に確かこんな一文があった。

死ぬ日は生まれた日に優る━━━━。

何も知らずに誕生してくる日よりも、多くのことを知って、より大きな人間となって死に逝く日は、決して劣るものではない・・・確かこんな意味だったと思う。

わたしは・・・生まれた日よりは大きくなれたよね?

だから・・・だからね、お兄ちゃん。

わたしは臓器バンクにドナー登録をしました。

まだやるべきことがあるのに、死ななければならない人のために。

そんな人が、たった一人でも自分をまっとうできるように。

だから・・・ショックを受けないで下さい。

HLAが適合すれば、その相手は香奈ちゃんになると思います。

あの子には、まだ見てないものが多すぎるから。

願わくば、明日のわたしが、今日のわたしより優れた人間でありますように・・・。

○月×日。

今日、海を見た。もう怖くない。